国鉄線の開設と目蒲線、池上線の開通

明治5年、新橋、横浜間で初めて汽車が走りましたが、しかし蒲田駅はまだありませんでした。熱心な誘致運動の結果、28年後の明治37年に、蒲田駅が作られました。当時はまだ東口駅舎しか無く、大正11年に蒲田駅西口の駅舎が完成しました。同年に池上電気鉄道鰍ェ蒲田から池上間の運転を開始しました。

一方、田園都市株式会社が、鉄道事業を始め、目黒蒲田電鉄会社ができ、大正12年11月に目黒、蒲田間が全通開通し、矢口駅は昭和5年5月に矢口渡と名前を変えました。矢口渡と蒲田の間にあった道塚駅(旧本門寺道駅)は、付近が戦火で焦土と化したのを機に昭和21年に廃止になりました。

昭和7年、矢口町は、蒲田町、六郷町、羽田町とあわせて東京市蒲田区となり、交通も大変便利な地域となり、これを契機に農村から住宅地に徐々に変貌を遂げ、多くの住宅が建ち、区外からの転入者で、世帯数、人口ともに、飛躍的に増大しました。