多摩川と六郷用水

安方の歴史について語るには、どうしても多摩川の歴史から入らなければなりません。

大昔の多摩川は大雨が降るたびに、洪水を繰り返して、その流れを変え田畑を流すという荒々しい川で、この地域一帯は東京湾にそそぐ三角州であったと想像されます。

江戸時代の初期、関東に入国した徳川家康はまず、関東平野の開発を目的に、河川の改修工事を行いました。
この事業の一つとして、多摩川の水を狛江から取り入れ、六郷まで引き込む治水と新田開発のために、六郷用水を開削しました。

家康より用水奉行に任命された小泉次大夫は、当時、稲毛、川崎の代官でした。
代官は、まず安方村の名主(蔵方兵庫定を宿所として、六郷領内のすべての名主)を集めて、事業の内容と協力を要請をし、ただちに測量に取り掛かりました。

慶長二年(1597年)から15年に及ぶ大工事は終わり、全長約30kmに及ぶ用水路が完成すると、開発した新田によって米の収穫も増し、農民の生活も潤うようになり、徐々に人々が定着するようになりました。

その後も多摩川は、何回か大洪水をひきおこしましたが以前のように荒ぶる川の様相は、堤防の整備とともに落ち着きを見せるようになりました。